太夫について

    

はじめに…

嶋原太夫を花魁ではなくこったいと呼んでください

よく、「太夫」と聞くと花魁という言葉が返ってきます。

 

そして、嶋原は花街(かがい)だったにも関わらず、吉原と混同されます。

しかし、実は花魁と呼ばれる太夫はあくまでも姿形を嶋原太夫を参考にし、真似したものであり、

全くの別の存在、文化になります。

しかし、今は作品などから花魁が有名であり、嶋原太夫の存在もあたかもそのように

描かれてしまいます。

なので、ここでは嶋原の太夫とはどんな誕生だったのか

嶋原の太夫と花魁との違いは?などをご案内させていただこうかと思います。

   

太夫の由来

 その昔、外国の使節の為であったり、公家が交流の為に等、様々な酒宴が行われていました。

すると、その宴の席には華や興を添える為に歌を歌ったり、舞ったりする女性達が必要でした。

相手は国家レベルの特別な客人であったり、身分の高貴な方々であったりと様々でした。

酒宴参加者達の教養が非常に高いので、必然と興を添える女性達の教養も

高くないとなりませんでした。

これらに参じる女性たちの多くは衰退を余儀なくされた上流・豪族の子女たちが妓女に身を

沈めていった事もあり、必要とされていた教養元々兼ね備えていたと言います。

更に、身分制度があった時代ですから、高貴な方・場所に出向くにはそれ相応の身分が

必要となります。

その為、当初は臨時で五位相当の待遇が与えられます。

そしてこの時、妓女が猿楽の舞を演じ彼女たちは「太夫」と呼ばれるようになったと言います。

しかし、この頃はまだ公的な呼び名ではありませんでした。


   

花街(かがい)での太夫

 その後、花街が公的に認められた際、特に技芸に長け、教養高く、容色美を持った妓女に限り、

「傾城」として許され、特別の待遇を受けるようになりました。

しかし、この時点では花街ではトップクラスですが、位はまだ存在しませんでした。

舞や芸、その他の教養も最高の「傾城」はそれらを花街で身分のある方々に披露します。

そして、その素晴らしさは御所にいる帝の耳にも入ります。

帝は評判の良い花街の芸を見に行きたくとも、その様な場所に行く事は許されません。

逆に卑しい身分とされた妓女が帝にお目にかかるどころか御所に入る事すら許されません。

そこで、帝が御所でもその芸を観る事が出来るようにと、公家文化から生まれた、

最高位の妓女であるのちの嶋原の「傾城」にのみ正五位の位を与えたというわけです。

※公家文化から生まれた嶋原については「嶋原とは?」をご覧になって下さい。


   

太夫の特徴

髪型は37種類あります。その中には高貴な身分の女性しか結えない髪形もあり、

太夫のみ、その髪型を結うのを許されていました。

また、打ち掛けを着る事、前帯である事など十二単を簡略化した姿が特徴的です。

太夫は褄を持つ時は右に持ちますが、芸妓は左褄と反対に持ちます。

この様に同じ花街であっても芸妓たちとの違いが明確になっています。

尚、太夫は例え寒い中、道中をしようとも、足元は常に素足です。

これは、位を頂いても「控える」という奥ゆかしさを示しています。

太夫は通称「こったい」とも呼ばれています。これは「こちの太夫」という語源から来ています。

「こち」とは公家言葉で「内・中」を言い、「内なる者、でしゃばらない、奥ゆかしさ」を示しています。

つまり、太夫は奥ゆかしさも必要であったという事です。

ここで記述させていただいたのは歴史はあくまでも太夫の成り立ちの記述であり、

舞妓・芸妓の誕生は誕生文化から違います。

下記に簡単ではありますが比較表を作りましたので、見比べていただくと町で見かけた時に

褄を持っている方、着物など見かけただけでもわかる部分もあるので、面白いかもしれません。

太夫 舞妓・芸妓
宮中文化から生まれた 町人文化から生まれた
着物は十二単を簡略化させたもの 着物は江戸時代の町娘姿

歌舞音曲の他、茶道・華道・香道

書道・俳諧など貴族が受ける一般教養
歌舞音曲(舞・三味線・囃子等)・茶道               
    

※舞妓は15歳〜20歳前後

※太夫・芸妓は年齢制限なし


   

嶋原の太夫と吉原などの花魁との違い

 これまで、ご案内させていただいた通り、嶋原の太夫は主に芸を生業としています。

しかし、先にも申し上げた通り、太夫を見かけると「花魁」とおっしゃる方が多数います。

しかし、嶋原の太夫は花魁ではありません。

花魁には花魁の歴史がありますが、それはここでは記載しません。

代わりに、嶋原の太夫と花魁の違いについて簡単に書かせていただきました。

花街 遊郭
芸を主体とした町 色を主体とした町
歌舞練場(歌舞音曲の練習場)がある 歌舞練場(歌舞音曲の練習場)がない
茶屋・置屋が別 置屋に客が来る

※花街には必ず歌舞練習場が存在します。

太夫 花魁
芸を主体とし、位を持つ。妓女の最高峰 色を主体とし、娼婦の最高峰
嶋原にいる 吉原他各地
通称:こったい 通称:花魁
【こったい】とは「こちの太夫」という公家言葉が変化したもの 【おいらん】とは「おいら、おら」という田舎訛りからきたもの

このようになっていますが、もし一言で?と言うならば・・・

現在も残っている嶋原の太夫、そして、売春防止法施行により消えてしまった花魁

売りにしているものが芸か、自身かの違いこそが太夫と花魁の違いというわけです。

だからこそ嶋原の太夫は現代にも残る事が出来たのです。

   

現在の太夫

現在も嶋原には太夫がおります。

これまでの太夫の歴史、嶋原の歴史を見ると「敷居が高そう」と

思われている方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、実はそんな事ありません。

「出来るだけ多くの方々に嶋原を嶋原太夫を知って

いただきたい」という司太夫の思いから、さまざまな

催しを行っております。

特に一度途絶えてしまい、司太夫によって復活しました

【嶋原太夫餅つき会】には老若男女問わず参加されています。

他にも、季節ごとに催しを行っているので、太夫が気になる方、

催しが気になる方は是非、一度参加してみて直接ご覧になって

みてはいかがでしょうか。

百聞は一見に如かず。

直接、見聞きする事によって皆様がイメージしていた

【嶋原太夫】の印象が変わるかもしれません。


※尚、太夫になりたいというご相談はメールでは受付けておりません。

 ご理解の程、よろしくお願いいたします。



                                 
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